ADHDうっかりママのポンコツ平常運転。

ADHD不注意型 うっかりママblackyの日常について

もし家族、恋人がうつだったら02 私もうつ

夫がうつで2回休職した話を前回しましたが、

私自身もうつ状態だったことがあります。結局、病院に行かなかったからはっきりはわかりませんが、今思えばADHDの二次障害でしょうが、不安感が強く憂鬱で動けないことがありました。

 

blackyが最も憂鬱だったとき

高校二年生の頃、部活で部長をやっていて事務作業がうまく進まず、誰とも連絡をとりたくないときがありました。部員からメールで「これどうしたらいい?」という内容にも、頭が回らず「うん」とだけ返事したこともありました。体調不良もあり早めに部活を引退しました。

進学校のため、高三になれば大学受験に向けてみんなが頑張る中、私は、成績も伸び悩み不眠で夜明けまで眠れないこともありました。毎日「自分のことダメな人」と感じ、自分を罰したいと思っていました。学校を休むことも時々ありました。

 

それでも自分の悩みは大したことないと思っていました。

家庭内不和が原因で友人が自傷行為をしていることに気が付いたり、友人の様子がおかしいなと感じ声をかけたら「実は家族が自殺した」と言われたり…ほかにもありますが、他人の問題に比べたら、自分の悩みなんて大したことないと私は思っていました。

 

高三の後半は、PIERROTの脳内モルヒネを聴き、学校に通いました。成績はうまく上がりませんが、受験科目を大幅に変更した結果、大学は合格しました。

 

もしかして、ADHDでできなかったのかも

部活で部長になって、部活の練習内容も考え、人間関係のことも考え、さらに事務作業もして…と色んな事に気を配ることで私は疲れていました。特に事務作業が苦痛でした。当時は写メが出たばかりの頃で、手書きが多くて非効率でしたね。

ADHDですと、忘れっぽく複数のことをこなすのが大変なときもあります。苦手なことを先送りにしてさらに失敗してしまうこともあります。部長の際、事務作業を先送りにして大変でした。

 

友人や周囲の問題に気づいたのは、どちらかといえば直感ですぐ動くほうだからだと思います。感受性も強く、自分まで憂鬱になってしまいました。ADHDだからなのか、何か変なことはすぐ気が付きます。

 

大学受験に向けて、成績が伸び悩んでいたのは、歴史(日本史選択)がどうしても覚えられなかったからでした。歴史の教科書がどうしても覚えにくかったからです。日本史を捨て、政治経済を独学で勉強しました。歴史は、人物、出来事、経済、文化などなど複雑で頭の中に整理ができなくて、私には覚えにくいようです。政治経済のほうが、理解しやすかったです。私の思考・認知に偏りがあるからだと思います。

 

憂鬱なときは

高校の後半から私は憂鬱な日が多かったのですが、その前から不安感は強かったです。元々、友達とうまくいっていないかもしれないと感じることが多く、一番古い記憶では幼稚園のころに友達がいなくてひとりで遊んでいました。高校卒業し、大学入学しても対人関係で悩むことも多く、サークルをやめました。社会人になり、結婚しても、それでも不安感は続きました。夫のほうこそ、私の精神不安に振り回されることもありましたね。

最近は思考を整理できるようになってきたのであまり悩みませんが、それでも時折、不安で自分を罰したくなることもあります。そんな日もありますよね。晴れの日があれば、雨の日も曇りの日もあるのだから、憂鬱なときがあってもいいと思います。楽しいうれしい日が続くのもいいですが、それでは疲れてしまうでしょうから、憂鬱ときがあってもいいです。それが普通。憂鬱なときは動かず休めばいい。それで憂鬱な気分に飽きたらやめてもいいかなと思っています。

 

うつ夫とADHDなblackyの話はこちらにまとめています↓

うつ病のしっかり夫とADHDの私のまとめ - ADHDうっかりママのポンコツ平常運転。